解放感溢れる多摩で体験する東京の食文化
世界中の多様な食が集まり、発展させることで、独自の食文化が生まれる街、東京。
江戸の伝統野菜をはじめとした様々な食材の産地でもある、東京。
東京の気候風土が生んだ自然の恵み、
食材の一つひとつに込められた生産者の想いやストーリー、
伝統の技法と革新的なアイデアを凝らし、東京の食文化を紡ぐ料理人たち。
東京ならではの「ガストロノミーツーリズム」が、
きっとあなたの日常に、新しい気づきを与えてくれるでしょう。
ガストロノミーツーリズムとは
その土地の気候風土が生んだ食材・習慣・伝統・歴史などによって育まれた食を楽しみ、
その土地の食文化に触れることを目的とした旅のこと。
知って、学んで、味わう時間が、あなたの旅を彩ります。
解放感溢れる多摩で体験する東京の食文化
のどかな田園風景や多摩川の渓谷美、そして神の領域とされる御岳山。
青梅線沿線には、自然と伝統に彩られた風景が広がっています。
今回の旅人は、東京観光大使を務める山下春幸シェフ。
新鮮な野菜、清流で育つ川魚、名水でつくられる日本酒など
多摩の風土に根差した食体験を通じて、新たな発見と人との出会いを楽しみます。
参加者
山下 春幸
東京観光大使
HAL YAMASHITA東京 オーナーシェフ、慶應義塾大学大学院特任教授、兵庫県神戸市出身。世界各国で修業を積み、独自の視点、料理技術を用いて、伝統的な日本のスタイルに斬新な食材の組み合わせを取り入れた料理は「新和食」と呼ばれる。2010年シンガポール、2012アラブ首長国連邦にて世界グルメサミットに日本代表として出場し、2010年には「その年の最も優れたシェフ」として称された。
現在は、「新和食」のパイオニアとして国内外にて活動中。また、現役の大学教授兼シェフとして世界的環境や飢餓問題にも取り組み、教育活動を行う傍ら、農林水産省、経済産業省、外務省と連携し、日本食や日本の食文化等の啓蒙活動を含む多くのプロジェクトに尽力している。
https://www.instagram.com/chef_halyamashita/
「Satologue」でビオトープを見学し、地元食材のフレンチベースのコースを堪能
最初に訪ねたのは、JR青梅線の古里駅と鳩ノ巣駅の間に位置する「Satologue(さとローグ)」。地域でとれる食材を活かしたレストラン「時帰路(ときろ)」と、薪ストーブのサウナ「FUKISUI」を備えた施設で、2024年5月のオープン以来、多摩川を眺めながら過ごせる場所として人気を集めています。
ランチは完全予約制で、食事前にはレストランの目の前にある畑を散策できるとのことで、この日は駒ヶ嶺侑太シェフが案内してくれました。畑には、わさび田や自家農園があり、レストランではこの畑で栽培された無農薬野菜をはじめ、地元の野菜が使われているそうです。
「僕はこの施設のオープンに合わせて都心から移住してきたので、畑仕事は初めてで。地元のおじいちゃん達に教えてもらいながら野菜作りをしています。今はサツマイモとキクイモ、オクラ、ハラペーニョ、ブロッコリー、ホウレンソウなどを作っています」と駒ヶ嶺シェフ。
畑にいると、近くにある清身滝(きよみだき)の水の音と鳥のさえずりが聞こえてきます。そんな自然豊かな環境だからこそこの畑では循環型農業を目指し、サウナで薪を燃やした際に出る灰を肥料として撒くほか、レストランで出た生ごみはコンポストにし、さらに堆肥作りもしているそうです。畑に灰を撒く作業を手伝っていた山下シェフは、「花咲かじいさんの気分だね、おー!ここに、大きなカマキリがいる!これほど自然あふれる場所で野菜作りができるのは、同じく食に関わる者として羨ましい限りです」と、この時間を楽しんでいました。
レストランは築130年の古民家を改装していて、元は川魚の養殖を行うお宅だったとのこと。正面の大きな窓の向こうには里山の木々と多摩川の清流が一面に広がっていて、ここが東京であることを忘れそうになります。窓に向かって設えられた、掘りごたつ式のカウンター席に座った山下シェフは、目の前に広がる里山の雄大な景色に「おお!」と感嘆の声を漏らします。その席は床より一段低い場所に座面があり、眼下に広がる多摩川や畑を深い角度で眺められるだけでなく、体の重心を下げることで自然に溶けこんだような感覚が得られるよう工夫されていました。山下シェフも、その心地よさにしばらく浸りながら「この建物の設計はよく考えられていて本当に素晴らしいですね」と、感動していました。
この日の料理は、里芋のポタージュ 自家製醤(ひしお)、原木椎茸と烏骨鶏卵のタルト、天然鮎の炙りと秋茄子、落花生のラビオリ 柿と東京シャモ、東京和牛の炭火焼 和牛の出汁と自家製味噌のソース、いちじくの葉のブラン・マンジェ。まさに多摩地域で生産される食材がぎゅっとつまったコースです。
しかも駒ヶ嶺シェフの料理説明には「隣のおばあちゃんからもらった小松菜をピューレにして…」や「隣のおばあちゃん家の柚子で作った柚子胡椒と畑で採れたハラペーニョで…」などの話が添えられていて、一品一品の料理に地元の皆さんの温かみが感じられます。
「うーん!おいしいです。素材の味がちゃんと感じられるのがいいですね、素材や里山らしさをつぶさず、限られた食材でこのクオリティに仕上げるのは本当に素晴らしいと思います」と山下シェフも大絶賛。
「ここで、どんなことをお客様に伝えていきたいですか?」
山下シェフの質問に、駒ヶ嶺シェフはこう話します。
「2025年春には敷地内に宿泊施設が完成するので、ここからの景色や、ゆったりした時間、季節の料理を楽しんでもらいたいですね。僕自身、都心から移住してきて、東京和牛や西東京のシャモ、無農薬野菜など、いろいろな食材が東京にあることを知りましたし、隣のおばあちゃんやおじいちゃんから野菜をもらって、東京でもこんな触れ合いがあるんだ!と驚きました。都心から1、2時間電車に乗れば、自然豊かでふるさとを感じられる場所があることを伝えていきたいです」。
店を後にした山下シェフに改めて感想を聞くと「今後、宿泊棟ができるとのことで、この場所の良さがさらに活かされると思います。駒ヶ嶺シェフの話に、近所のおじいちゃん、おばあちゃんがたくさん登場していましたが、シェフが地域のコミュニティにしっかりと入っている感じもいいですよね。レストランの空気感も含め、間違いなく、足を運びたくなる場所になるだろうし、多摩のガストロノミーツーリズムの中核的な場所になっていきそうですね」と期待を寄せていました。
ケーブルカーに乗って、農業の護り神、武蔵御嶽神社へ
次の目的地、武蔵御嶽神社は、標高929mの御岳山山頂にあります。滝本駅からケーブルカーに乗り、高低差424mを一気に登って御岳山駅へ。そこから武蔵御嶽神社までは歩いても行けますが、リフトに乗り継いでさらに上へ。御岳山から都心方面に向かって壮大な風景が出迎えてくれます。
宿坊※が連なるエリアを抜けて急坂を登ると、茶店や土産店が並ぶ昔ながらの商店街があります。「ちょうど休みたい場所に茶店があるなぁ。ここから階段か!意外ときついね」と、山下シェフは苦笑いしながら、新鮮で清々しい山の空気を胸いっぱいに吸い込んでいました。
※宿坊…神社や寺院のそばに設けられた、参詣者や氏子、僧侶のための宿泊施設。現在は一般の旅行者を受け入れているところが多いです。
朱(しゅ)塗りの幣殿・拝殿で迎えてくれたのは禰宜(ねぎ)の靱矢(うつぼや)正さんです。靱矢さんのお話によると、武蔵御嶽神社は第10代崇神(すじん)天皇時代の創建とされる古社で、集落内に34軒ある「社家(しゃけ・神職を世襲とする家柄)」の人々が神職を務めているそうです。「親、子、孫の3世代で神職の資格を持つ家も多いので、集落全体では60人以上の神職がいます。地域が一体となって神社を維持しています」。
こちらの神社は古くから農業の守り神としても知られていて、毎年1月3日には、その年の作柄を占う神事、太占祭(ふとまにさい)が行われています。秘事のため公開はされませんが、牡シカの肩の骨を火であぶり、ヒビの入り方で25の作物の作柄を占うとのこと。この占いがよく当たると、農家の方から厚く信仰されてきたといいます。
江戸後期にはお伊勢参りをきっかけに、庶民が遠方の有名な神社や寺を参拝する寺社詣でが流行しました。人々は「講」と呼ばれる、寺社詣でを目的としたグループを集落単位や仲間同志で作り、毎年お金を出し合っては、講の代表者数名を順番に寺社詣でに送り出しました。古くから農業の守り神とされてきた武蔵御嶽神社には、多くの農村から講の代表者がこぞって参拝に訪れるようになり、神社の周辺には講の人を泊める宿坊が増えていったそうです。
その頃、武蔵御嶽神社で信仰を集めたのが、境内の大口眞神社(おおぐちまがみしゃ)で祀られているニホンオオカミの「おいぬさま」です。靱矢さんは「おいぬさまは、日本武尊(やまとたけるのみこと)の遣いで、御岳山を魔物から守るとされる存在です。農家にとってオオカミはシカやイノシシ、ウサギなど畑を荒らす動物を退治してくれる存在ですから、絶大な信仰を得ていました。江戸時代、講の人たちはおいぬさまの御札を買い求め、集落の人達に配ったそうですよ」と話します。
さらに境内の巨福社(こふくしゃ)には土の神様、埴山比女神(はにやまひめのかみ)が祀られており、巨福社の周りの土を持ち帰って畑に撒くと害虫被害が防げるとの言い伝えも。靱矢さんによると、御岳山までわざわざ土を取りに来て、畑に撒く農家が多く、巨福社周辺の土がなくなってしまうので、今では祈祷した砂を販売しているそうです。歴史的に武蔵御嶽神社が農業や食に深い関わりがあることを学んだ山下シェフでした。
東京の町並み、山並みを一望する「天空の畑」
「うわぁ、ここからの眺めも素晴らしいね」。
山下シェフが思わず声をあげたのは、武蔵御嶽神社の参道から脇道を進んだところにある小さな畑。山の9合目あたりの斜面を切り開いているため、多摩の山並みはもちろん、はるか彼方に都心の高層ビル群も見渡せます。視界の大半を占めるのは広い空。まさに「天空の畑」です。
*畑は一般開放されていません。今回は特別に畑に入れていただきました。
ここで野菜を栽培しているのは、「宿坊 能保利(のぼり)」のご主人、久保田直之さん。御岳山は山全体が神域であるため、山の中の畑はすべて神職の方々が所有しているとのこと。
この日は三浦大根や練馬大根、青首大根などが収穫時期を迎えていたため、山下シェフも大根の収穫をすることに。久保田さんのアドバイスは「外側の葉を少し落として抜いてください」というシンプルなひと言でしたが、それもそのはず、葉の根本を引っ張れば、あっけないほどするっと抜くことができました。大ぶりなもの、小ぶりなものと楽しみながら収穫していきます。
「いい出来ですねえ。やっぱり土がいいんだろうなぁ」と山下シェフが感心していると、「標高が高いのも野菜にはいいみたいです。かぼちゃや長芋も煮崩れしないとよく言われますね」と久保田さん。標高が高い故の寒暖差の厳しさや、山の養分をたっぷりと含んだ土、さんさんと注がれる日差しなど、天空の畑には野菜作りに適した条件が揃っていました。一方で、イノシシやシカによる被害はあるそうで、「今年の春はイノシシに男爵イモがやられたんで、みんなで協力して畑を柵で囲んだんだけど、それでもシカは入ってくるね」と、久保田さんは話します。
農業は自然や生き物たちの脅威とも常に隣り合わせ。農家の方が武蔵御嶽神社にお参りし、豊作を願う気持ちが痛いほど伝わってきました。
「宿坊 能保利」で山の幸、川の幸をいただく
久保田さん一家が営む「宿坊 能保利(のぼり)」は、江戸後期創業の歴史ある宿坊です。先ほどの「天空の畑」をはじめとする自家農園の野菜を使った料理が人気だそうで、この日も庭には、収穫されたこんにゃく芋と長芋が並べられていました。
大広間には贅沢な食事が用意されていて、久保田さんの娘で女将の佳代子さんによると、野菜の陶板焼き、酢の物、煮物などは自家栽培の野菜を使ったもので季節によって内容が変わるとのこと。奥多摩の川マスをオリジナルの味噌で味付けして朴葉(ほうば)で包み焼きにした一品も名物料理だそうです。
「精進料理ではないんですね」。
山下シェフの質問に、同席していた靱矢さんが答えます。「お寺の宿坊では精進料理が提供されることが多いですが、神社の宿坊の場合、食事の制限はありません。それに神社参拝に直会(なおらい・打ち上げ)はつきもの。お詣りの後は、お酒が好きな方は多めに召し上がってください。参拝で神様に近づき過ぎている状態ですから、人の体に戻るには直会でお酒の力を借りるのがいいんですよ」。
「それじゃいただきましょう!乾杯!」。
早速、地元酒蔵の小澤酒造の澤乃井で乾杯し、食事が始まります。
※お酒は無理に飲む必要はありません。
ふっくらと味が染み込んだ大根煮は爽やかな柚子味噌と相まって口の中でほどけるよう。「もしかして、さっき採った大根?いやぁ、最高!これはおいしい」と山下シェフも満面の笑みがこぼれます。名物の刺身こんにゃくは、箸でつまむとずっしり重く感じられるほどのみずみずしさ。こんにゃくの香りとつるんとしたのど越しに、生姜醤油のぴりっとした辛味がよく合います。
「宿坊って、普通の人が泊ってもいいんですよね?」と、山下シェフが確認すると、佳代子さんが「大丈夫です。昔は農家の講の方が中心でしたが、最近はネットで予約される一般の方も増えています。日本文化に興味を持つ海外のお客様も多いので、お互いにスマホで翻訳しながらやりとりしていますね」と話します。一般的な旅館との違いは、神職が営む宿であること、広間などに神殿が設けられていることなどで、講の人たちが泊まった際は、神殿でお祓いをしてから神社に参拝するそうです。
「でも最近、農家は減少傾向にありますし、講でお詣りする方も減っているのではないですか?今後、宿坊はどうなっていくのでしょうか?」
山下シェフの素朴な疑問に、靱矢さんはこう答えます。「私たちも情報発信をしてきた甲斐あって、一般の方の利用が増え、リピーターも多いので、昔ながらの宿として生き残っていけると思います。御岳山は山全体が神域という特別な場所ですが、そこに暮らす人たちがいて、昔ながらの食文化もあり、山の上の宿坊に泊まっていただける。掘り尽くせないほどの魅力があります。ですから、私たちは御岳山に『ただの山、じゃない』というキャッチフレーズをつけているんですよ」。
「なるほど。まさにその通りですね。観光資源も多いし、ここから宿坊ツーリズムが広まっていくとおもしろそうですね。今日1日で発見したのは、都心から多摩を訪れると、人の作った野菜、料理というものが強く感じられるし、コミュニティに入れてもらったような気分になれるということ。それは都会にはない多摩のガストロノミーツーリズムの魅力だと感じます」と、山下シェフも納得の様子でした。
江戸の庶民は寺社詣でをきっかけに、よその土地を目指し、宿坊に泊まり、その土地の食や観光などを通して、旅の楽しさを知っていきました。当時、武蔵御嶽神社を参詣するために御岳山の宿坊に泊まった旅人たちは、豊かな自然が育んだ山の幸、川の幸のおいしさに感動したことでしょう。そうした多摩の食文化やホスピタリティは今も受け継がれ、この土地に息づいています。
先人たちも利用した歴史ある宿坊で自慢の伝統料理を味わえるだけでなく、さとローグのように里山のガストロノミーを未来へつなぐ新しいスポットが広がりをみせているのも、この地域の懐の深さであり、おもしろさ。東京の西側に位置する多摩の風土、そして歴史と伝統に根差した豊かな食文化は、じっくり旅するほど惹きこまれる、奥深い魅力を秘めています。
(本記事は、2024年度東京都で実施した東京におけるガストロノミーツーリズムの魅力発信事業の実施レポートです。)
訪問先
ご協力いただいた施設・お店をご紹介します。
Satologue(さとローグ)
60年前まで川魚の養殖を営んでいた古民家を改築した施設。地元の幸×フレンチのコース料理を楽しめるフレンチレストラン「時帰路(ときろ)」と、フィンランドスタイルのサウナ「風木水(ふうきすい)」を備える。2025年春に宿泊施設もオープン予定。
https://satologue.com/
武蔵御嶽神社
御岳山の山頂に鎮座する古社。江戸時代中期以降、庶民の間で講を組んでの社寺詣でが人気となったため、周辺には多くの宿坊が並んでいる。関東平野の農業を守る神山でもあり、毎年1月3日には農作物の豊凶を占う太占祭が行われる。
http://musashimitakejinja.jp/
宿坊 能保利(のぼり)
御岳山で江戸後期から営まれている宿坊。東京を一望できる「天空の自家農園」で栽培した野菜をふんだんに使った料理が好評。大広間には神殿が備えられており、宿坊ならではの神聖な雰囲気が感じられる。
http://mitake-nobori.com/
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