東京で味わう、日本流四川料理
きらびやかなコントラストに満ちた都市、東京。旅人にとって夢のような目的地であると同時に、世界屈指の食文化を誇る都市として、世界中の食通を引き寄せる存在である。圧倒的な料理の多様性、妥協なき品質への探求心、そして伝統と革新が交差する食文化。そのすべてが重なり合い、東京ならではのフードシーンを形づくっている。
東京を歩けば、世界中の料理が集結していることにすぐ気づくだろう。中国料理だけを見ても、北京、上海、広東、四川という四大料理圏すべての流れを汲む店が揃っている。さらに、ラーメンのように中国を起源としながら、日本独自の進化を遂げ、今や日本の食文化に深く根づいた料理も少なくない。
東京における食事は、ただ食べるだけの行為ではない。緻密な職人技、長い時間をかけて培われた文化、そして「無限の可能性と多様性」に触れるひとときともいえる。そう語るのが、中国にルーツを持つ三代目料理人であり、東京観光大使も務める「四川飯店」オーナーシェフ、陳 建太郎(以下陳シェフ)氏。その言葉の背景にある東京の魅力を、ひもといていく。
東京の食文化を形づくる背景
東京の食文化を特徴づけるもの。それは、比類なき多様性、高い品質、そして革新を恐れない姿勢だ。世界的なレストランガイドにおいて、東京が世界最多の星を獲得してきた事実は、その象徴だろう。
東京が特別な存在である理由は、和食という伝統を守りながら、海外の料理文化を柔軟に受け入れ、日本流に昇華させてきた点にある。旬の日本食材を生かしたフレンチ、洗練されたフュージョン料理など、新たなジャンルが次々と生まれてきた背景だ。
海と港を背景に、国内外の文化と人、食材が行き交う中心地として発展してきた歴史も大きい。全国各地の郷土料理が集まり、同時に世界の最新トレンドも流れ込む。屋台料理から懐石料理まで、あらゆる嗜好に応える懐の深さが東京の食文化といえよう。
日本で「中華料理」と呼ばれる中国料理の定着も、その好例。19世紀末から20世紀初頭にかけて本格化した中華料理は、日本人の味覚に合わせ、油分を控え、辛味を和らげ、身近な食材を用いる形へと変化していった。
その結果、中国の麺料理をルーツに持つラーメンや、茹でるのではなく焼いて副菜として楽しまれる餃子、味噌を用いて辛味と香辛料の刺激を和らげた麻婆豆腐など、日本独自のスタイルを持つ定番料理が誕生した。これらは今や、町中華からコンビニ、高級専門店に至るまで、日本の日常に欠かせない存在となっている。世界中の食材が集まる東京という環境は、中国料理や西洋料理の料理人たちにも、絶え間ない挑戦と創造を促している。
四川料理に欠かせない香辛料。かつては日本国内産の調達が中心だったが、現在は世界各地から集められている。
多文化が織りなす料理のアイデンティティ
東京の食文化の奥行きを知るには、和食の店だけでなく、日本化された世界各国の料理を出す店に目を向ける必要がある。そのような店のひとつが陳シェフの「四川飯店」である。ここは、祖父・陳建民が築いた“東京式四川料理”を正しく受け継ぐ店。陳建民は日本における四川料理の父と称される存在でもある。
四川飯店の料理は、戦後日本という制約の中から生まれたと、陳シェフは語る。「1952年に祖父が来日し、1958年に店を開いた当時、中国の食材や調味料はほとんど使えなかった。だからこそ、日本で手に入るもので四川料理を作りあげたのです。」ルーツは四川省にありながら、東京で育った四川料理。その本質がここにある。
陳シェフは、祖父・建民、そしてテレビ番組『料理の鉄人』*で知られる父・陳建一の背中を見て育った。しかし、料理人になることを強制されたことは一度もないという。「好きなことをしなさいと言われ、20歳で自分の意志で決めました。人と一緒に食べることが好きで、自分の料理で誰かが笑顔になるのが楽しかったんですよ。」と語る。伝統を継ぐ原動力は、義務感ではなく純粋な喜びだったということだろう。
重圧がなかったわけではない。それでも彼が引き継いだのは、「四川飯店の料理がとにかく好きなのです。」というその言葉がすべてを表している。
日本国籍を持ち、1/4の中国の血を引き、東京とシンガポールで中華料理店を展開する陳シェフ。
だからこそ、自身の文化的アイデンティティや「四川飯店」のルーツを強く意識してきたに違いない、そう思われがちだ。
しかし、そうした意識を明確に持つようになったのは、シンガポールで旗艦店「四川飯店」を開いた後のことだったという。
祖父がお店を育てていく際に、どのような思いを抱いていたのか? お店や料理の価値をどのように伝えるべきなのか? これらについて、よく考えるようになった。同時に、自身のアイデンティティを自分の言葉で明確に説明できなければならない、と感じたのだそうだ。
そのような経験を通じて、彼が生み出してきた料理は、東京という土地で育まれた東京スタイルの中華料理であると確信した。繊細さと融合性を併せ持つ東京でしか生まれ得ない独自の食文化である。
*「料理の鉄人」は、1993年から1999年にかけて放送された日本のテレビ番組。海外版の制作によって世界的にも広く知られる料理番組。
東京が料理にもたらすもの
陳シェフの手にかかると、力強い四川料理にも、東京ならではの繊細さが宿る。彼は東京の食文化を「無限の可能性と多様性が存在するカルチャー」と表現する。四季、食材、年中行事まで含め、文化そのものがきわめて緻密。流行が移り変わっても、品質への意識が揺らぐことはない。
看板料理の麻婆豆腐も、その象徴だ。強火で一気に仕上げる中国料理の中でも、麻婆豆腐は特に繊細な火加減を要求される。仕上げでは鍋を火から浮かせ、香りと旨味を引き出す。火と油温のわずかな違いが、食感、香り、奥行きを大きく左右する。
こうした感覚的ともいえる技術は、旬を尊ぶ日本の文化と、最高の食材が集まる東京という環境によって、さらに洗練されていく。土台は中国料理の基本技術。その上に、和食や西洋料理、さまざまな文化の影響が幾層にも重なっている。
祖父が日本人のために「ご飯と一緒に食べる料理」として完成させた麻婆豆腐は、1970年代に爆発的な人気を得た。現在、「四川飯店」では、自家製豆板醤をはじめとする上質な調味料と厳選食材により、さらに洗練された一皿として提供されている。
火から鍋を離し、繊細に温度を操る瞬間
陳シェフの代表料理:エビのチリソース、担々麺
初代が生み出した麻婆豆腐。今や、日本の定番ご飯料理
四川料理にサステナビリティを
中国料理では、家族や仲間で料理を分け合う文化から、注文量が多くなりがちだ。もてなしの心が、品数の多さを重視させる。一方、日本では持ち帰りの習慣が一般的でないため、日本の中華料理店では食品ロスにつながることも少なくない。陳シェフは「もし量が足りなければ、後から追加しても良いのではないでしょうか?」と提案する。
店舗側でも工夫を重ね、ある店舗では調理場からゴミ箱を撤去。食材を最後まで使い切る意識が高まり、廃棄量は大幅に減少した。使いきれなかった食材は、まかないとして生かされる。
このような取り組みは、食材の「生まれた場所」との意識的なつながりを築くことにも及んでいる。陳シェフが重視するのは、スタッフ自身が生産者と直接顔を合わせること。そうすることで、食材がどのような環境で、どのような思いを込めて育てられてきたのか、その背景を理解できるようになる。
畑での作業や収穫の現場に立ち会い、そこに注がれる手間や情熱を目の当たりにすることで、スタッフの意識は大きく変わる。結果として、食材への向き合い方や扱い方そのものが変化していく、と考えている。
「無駄を出さないこと自体は、それほど難しいことではないでしょう。しかし、全員が自発的に、心から実践することは難しい。生産者のもとへ足を運び、自分たちが何を受け取っているのかを、目で確かめることは、その助けになると思うのです。」陳シェフはそう語る。
多角的な視点から語られる、料理人としての哲学
「東京を味わい尽くすためのヒント」
東京が食の都として人を惹きつける理由。それは、和食の本質から、世界各国の料理を日本流に昇華させた体験まで、たった一都市ですべて味わえる点にある。陳シェフは言う。「今の東京は世界中からさまざまなものが集まり、かつては手に入らなかったスパイスさえ容易に入手できる。」
東京での食事は、料理人の技と、客側の理解によって完成する。店ごとのルールや空気を尊重することも、体験の一部だ。
国際的な評価を得たレストランであれ、街角の名店であれ、東京の一皿の背後には、繊細な仕事を積み重ねる人々の存在がある。味だけでなく、空間、会話、料理人の情熱まで含めて味わうこと。それこそが、東京が世界に誇る食体験の本質だ。
四川飯店
陳 建太郎
ちん けんたろう
1979年に東京に生まれる。高校を卒業後に、赤坂 四川飯店に入社。四川省への留学で本場の四川料理を学ぶ。また、東京だけに留まらず、2016年にはShisen Hanten by Chen Kentaroをシンガポールにオープン。現在は、東京観光大使として、東京の魅力を国内外に広く発信する役割も担っている。
住所
東京都千代田区平河町2-5-5 全国旅館会館5F・6F
https://www.sisen.jp/
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