江戸から続く食文化のルーツを巡って

2026年2月26日

世界中の多様な食が集まり、発展させることで、独自の食文化が生まれる街、東京。
江戸の伝統野菜をはじめとした様々な食材の産地でもある、東京。

東京の気候風土が生んだ自然の恵み、
食材の一つひとつに込められた生産者の想いやストーリー、
伝統の技法と革新的なアイデアを凝らし、東京の食文化を紡ぐ料理人たち。

東京ならではの「ガストロノミーツーリズム」が、
きっとあなたの日常に、新しい気づきを与えてくれるでしょう。

ガストロノミーツーリズムとは
その土地の気候風土が生んだ食材・習慣・伝統・歴史などによって育まれた食を楽しみ、
その土地の食文化に触れることを目的とした旅のこと。
知って、学んで、味わう時間が、あなたの旅を彩ります。

江戸から続く食文化のルーツを巡って

東京は何度も再建と進化を重ねてきたため、江戸時代の面影を感じることが難しくなったように思えるかもしれません。しかし、実際には今も随所に江戸の面影が強く残っています。中でも、それを特に鮮明に感じられるのが、「食」の分野です。東京の食文化の原点は、江戸時代に遡ります。そして東京の料理人や職人は、江戸時代から代々受け継がれてきたレシピや技法、手仕事を通じて不朽の伝統を現代に伝えてきました。
今回は、東京の食文化の原点に触れられる、とっておきの4ヵ所をご案内します。

参加者(写真左)

田中律子
女優/タレント
東京出身。12歳でモデルデビューし、女優やタレントとして長年活躍する一方、ダイビングインストラクター、ヨガインストラクターの資格を有し、沖縄でのサンゴ再生プロジェクトや地域振興活動など、自然環境保護にも積極的に取り組んでいる。明るく親しみやすいキャラクター、アウトドアや食、地域とのつながりを大切にするライフスタイルは幅広い世代から共感を集めている。
https://r-mnet.com/

ファシリテーター(写真右)

マッキー牧元
著作家/コラムニスト
年間約700回外食し、食を通じて文化と人を紡ぐ、自称“タベアルキスト”。新飲食街のプロデュースから執筆、講演まで幅広く手がける食文化の伝道師。にほん食文化会議理事、日本ガストロノミー協会副会長。料理理論、食の紀行や人物についてさまざまなメディアで情報発信を行うほか、飲食街や飲食店のプロデュース、食品開発などにも携わる。
https://mackeymakimoto.jp/

行程

①「かつお食堂」でかつお節ご飯を味わう

この日、朝食のために2人が訪れたのは、渋谷にある「かつお食堂」です。地下へと続く店内には店主の永松真依さんがかつお節を削る、スコン、スコンという小気味いい音が響き、ふわふわのかつお節が削り出されていきます。

こちらの店では、かつお節の最上級品とされる本枯節ほんかれぶしを目の前で削り、かつお節ご飯とかつお出汁を引いた味噌汁、かつおの刺身、野菜とかつお節の惣菜などの定食を提供しています。渋谷という土地柄、若い人や外国人も多く訪れる人気店として有名です。

定食を待つ間、マッキーさんが、かつお節の歴史について解説してくれました。「かつお節は最初に紀伊で作られましたが、その後、カビを均一につけて熟成度合いを高めた本枯節などが作られるようになります。江戸中期には下総国(今の千葉県)で濃口醤油が生産されるようになり、かつお節と濃口醤油の相性が良かったことから、かつお出汁が人気になりました。かつお節はイノシン酸、醤油はグルタミン酸ですから、重層的な味わいになるんです」。

定食が登場しました。「まず、かつお節の香りを楽しみ、そのまま一枚食べてみてください」と、永松さんに促され、2人はご飯の上に山盛りにされたかつお節をパクリ。

「すごい!私が知ってるかつお節と全然違う。なにこれ、口の中で溶ける!」と田中さんは大興奮。ご飯に載せるかつお節は、香りの高いもの、味わいの深いものなど、数種類を組み合わせているとのこと。好みで天然塩や醤油麹を加え、最後はたまごかけご飯で食べるのがおすすめだそうです。

永松さんは14年前から“鰹節伝道師”としてかつお節の魅力を伝える活動を始め、8年前にこの店をオープンさせました。

「きっかけは、祖母がかつお節を削る姿に憧れて、削り始めたことです。そこから、かつお節の産地を訪ね、生産者さんの想いを知り、日本にとって大切なかつお節の文化を存続させなければ、という想いで活動を始めました」。永松さんが、かつお節削り器の刃を調整する姿は、まさに職人。かつお節文化を守り続ける人たちのおかげで、江戸の庶民も愛したかつお節ご飯が、時代を超えて、今もなお受け継がれており、現代も楽しめることに感謝せずにはいられません。

②「茂上工芸」で江戸指物の親方に箸づくりを学ぶ

日本の食文化に欠かせないのが、箸です。マッキーさんによると、中国から日本に箸が伝わったのは飛鳥時代のことで、その後400〜500年で庶民に浸透したといいます。江戸時代には、汚れが目立たない漆の塗箸が誕生したほか、物売り、屋台、飲食店など外食の広まりにより、割り箸の原型となる「引裂箸ひきさきばし」も使われていたそうです。

2人は箸作りを体験するため、台東区蔵前にある、江戸指物さしものの工房、「茂上工芸」を訪ねました。

指物とは、釘を使わず、凹凸を付けた木版をさし合わせて作られる木工芸品のことで、「茂上工芸」では飾り棚やタンス、鏡台などの家具、さまざまな雑貨を作っています。

三代目親方で伝統工芸士の茂上豊さんに話を聞くと、「指物は宮廷文化から始まったので、京指物には雅な装飾が施されていますが、江戸指物は武家や商人に向けて作られたので、簡素で堅牢な作りです。木地の美しい木目を見せるのが、江戸指物の特徴ですね」とのこと。

箸作り体験は、箸の長さに切り揃えられた、5~6種類の木材の中から好きなものを選び、小さなカンナを使って箸の形に整えていきます。箸の先端を細くするには、円を描くようにカンナをかけますが、茂上さんのお手本のようにはいかず、2人とも真剣な表情でカンナと格闘していました。茂上さんが微調整を施したものにサンドペーパーをかけ、艶出しの油を塗って完成です。

「素敵!やっぱり自分で作ると愛着がわきますね。マイ箸として持ち歩きます」と田中さんは大喜び。
慣れない作業に苦戦したマッキーさんも「親方の緻密なカンナ使いを見て、隅々まで美しさを宿らせる、という精神性を感じられたのが良かったですね。補修しながら使っているという、カンナにも職人魂を感じました」と、大満足の様子でした。

③「室町砂場」で江戸っ子の蕎麦の食べ方を学ぶ

2人がランチにやってきたのは、日本橋の老舗蕎麦店、「室町砂場」です。
「砂場」は江戸時代から続く蕎麦屋の屋号ですが、そのルーツは実は大阪にあるとのこと。

五代目主人の村松毅さんは、こう話します。「大阪の砂置き場の近くで繁盛していた麺屋が、お客から『砂場』と呼ばれるようになり、それを屋号にして東京に店を出しました。当初は蕎麦もうどんも出していたそうですが、江戸では蕎麦の方が人気になったようです。江戸時代の蕎麦屋の番付には、砂場を名乗る店が複数あり、その中の1軒からのれん分けされたのが当店です」。

では、なぜ江戸っ子は蕎麦を好んだのでしょうか。村松さんとマッキーさんの考察では、蕎麦の産地が比較的東に多く、蕎麦が手に入りやすかったこと。つなぎ(小麦粉)を加えて蕎麦が打たれるようになり、口当たりがなめらかで食べやすくなったこと。江戸では肉体労働者の男性が多かったため、江戸からほど近い野田や銚子から入ってくる質の良い濃口醤油とかつお出汁の、塩味のきいたつゆが好まれたことなどが理由として挙がりました。さらに「江戸のまちは独身男性が圧倒的に多く、職人や肉体労働者はみんな忙しく、せっかちだったので、ファストフードどして屋台で手軽に味わえる、蕎麦、天ぷら、寿司などが人気を集めたのだと思います。当時は火事対策のため、店舗内では火の使用が禁じられていたので、屋台が増えた側面がありますが、屋台でもせっかちな客の要望に応えるため、あらかじめ茹でておいた蕎麦、揚げておいた天ぷら、箱寿司をひと口大に切り分けた、握り寿司の原型となる寿司などを出していたようです」とマッキーさん。

せっかくの機会なので、蕎麦の粋な食べ方を教わることに。「江戸っ子は箸から蕎麦を離さず、麺の下3分の1だけをつゆにつけ、ずずっと音をたてて吸い込みます。蕎麦の香りは非常に淡いので、麺を全部出汁につけると、蕎麦の香りが消えてしまいます。ワサビやネギは汁に混ぜず周りの空気と一緒に、音が立つくらい勢いよく吸い込むことで、蕎麦の香りが鼻に届き、最後につゆの味が楽しめます」と村松さん。
同様に蕎麦の香りを楽しむため、ワサビやネギはつゆに混ぜず、蕎麦湯までとっておくのが江戸っ子流。さらに長すぎる蕎麦は二つ折りにして食べ、ワサビで蕎麦を食べたい場合は、蕎麦の上にちょんとのせて食べるそうです。

「うわぁ、いい香り!」
続いて運ばれてきたのは、温かい蕎麦の「花まき」です。丼の蓋を開けると、蕎麦が見えないほど「もみ海苔」がたっぷり散らされていて、磯の香りと醤油の芳醇な香りが辺りに漂います。「花まき」の名は、海苔が「磯の花」と呼ばれることに由来しているそう。「花まき」は江戸時代発祥であり、こうした古典蕎麦が楽しめるのも老舗の魅力のひとつです。「長い間、淘汰されずに残ってきたものは、それだけお客様に支持されてきたものだと思いますし、私たち老舗には、古いものを伝えていく役割も求められています。これからも変わらず、蕎麦の文化を伝えていきたいですね」と村松さんは話してくれました。

④「新橋玉木屋」で知る佃煮の楽しみ方

最後の訪問先は、江戸後期の天明2年(1782年)に創業した佃煮と煮豆の老舗「新橋玉木屋」です。店内にはあみ、細切り昆布、帆立、まぐろ生姜など、種類豊富な佃煮がずらりと並び、目移りしそうなほど。素材ごとに秘伝のタレがあり、それを継ぎ足しながら、江戸からの伝統の味を守っているそうです。

店長の鎌田佐和子さんによると、佃煮の歴史は古く、誕生には、徳川家康が関わっているとのこと。「本能寺の変のあと、徳川家康が摂津の国から逃げた時に、佃村という漁村の人に渡された魚の塩煮で命拾いしたそうです。その後、家康の計らいで、佃村の漁民は江戸の、隅田川河口の中州に移住し、そこを佃島と名付けます。やがて醤油で小魚を煮たものが佃煮として売り出されるようになりました。低価格で保存ができ、タンパク源にもなるため、江戸の庶民から人気を集めたといいます」。

「新橋玉木屋」では、現代の食文化に合わせた佃煮の新しい食べ方を提案していて、ワインとのマリアージュが楽しめる「あみバター」や「えび佃煮とナッツのキャラメリゼ」も販売しています。「実はクリームチーズに佃煮を散らすだけでも、いいおつまみになるんですよ」とマッキーさん。鎌田さんからは、「佃煮をサラダやたまごかけご飯に混ぜると、調味料の代わりになりますよ」とのアドバイスも。「知らなかった。佃煮は白米のお供だと思っていたけど、楽しみ方は無限大ですね」と、田中さん。

店内では佃煮とふりかけを使った、おにぎりを作るワークショップも行われていて、2人も参加することに。なかでも印象に残ったのが、スタッフの方が話してくれた「おにぎりとおむすびの違い」についてです。「日本人は古来より、八百万の神の存在を信じてきました。白米は日本のソウルフードですから、人々は山の神に白米を捧げたい、結び付けたいと願ったことから、おむすびという言葉が生まれ、山の形に似せた、三角形のおむすびを作りました。一方、おにぎりは、握りずしに代表されるように、楕円型、俵型のものが多いようです(*諸説あります)。

マッキーさんの案内で4か所を訪ねた田中さんは、「お店の方やマッキーさんの解説のおかげで、江戸の食文化の奥深さはもちろん、食材を無駄にせず、道具を大切にする、神様と食を結び付けるなど、日本人が大切にしてきた精神を再確認できた気がします。ぜひ、子どもたちや外国の方たちにも知ってもらいたいと思いました」と感想を話してくれました。江戸時代の食文化の広がりや、まちのダイナミズムを感じつつ、江戸から現在まで伝わるおいしいものを、心行くまで堪能できた1日でした。

(本記事は、2025年度東京都で実施した東京におけるガストロノミーツーリズムの魅力発信事業の実施レポートです。)

訪問先

ご協力いただいた施設・お店をご紹介します。

かつお食堂

渋谷にある、削りたてのかつお節を主役にした和定食の店。“鰹節伝道師”を名乗る店主、かつおちゃんこと、永松真依さんが心を込めて削るかつお節と、かつお出汁を使った料理の数々は、伝統的な和食に興味を持つ若い世代や外国人旅行者にも人気。
https://www.katsuoshokudo.jp/

茂上工芸

大正元年(1912年)創業の江戸指物の工房。1階には作品の展示スペースもある。箸作り体験は所要約2時間で、子供や学生、外国人旅行者にも好評。カンナをかける作業を体験できるだけでなく、緻密な職人技を間近に見られ、江戸指物の世界にふれることができる。
https://sasimono.ciao.jp

室町砂場

明治2年(1869年)創業の老舗蕎麦店。天ざる、天もり蕎麦発祥の店としても知られる。気の短い江戸っ子が蕎麦に濃いつけ汁をかけて食した、本来のかけ蕎麦や、小柱をあられに見立てたあられ蕎麦、上質なもみのりを散らした花まき蕎麦など、江戸の蕎麦文化を堪能できる。
https://www.muromachi-sunaba.co.jp/

新橋玉木屋

天明2年(1782年)創業の佃煮と煮豆の店。あみ、細切り昆布、あさり、生姜まぐろなど、種類豊富な佃煮のほか、伝統の「座禅豆」、佃煮を使ったふりかけなどを販売。また、世界各国の料理の味が楽しめる「世界のふりかけ」は、新たなヒット商品として話題を集める。
https://www.tamakiya.co.jp/

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