多様性に富んだ食の都、東京
東京は、いまや世界の食文化を牽引する都市のひとつです。厨房は最先端のスタイルで料理を提供し、江東区の豊洲市場はつねに活気に満ちてさまざまな食材にあふれています。さらに、東京西部の多摩地域では近郊農業が盛んで、生産された食材を地産地消することでフードマイレージをおさえることもできます。こうして東京は、バラエティに富んだ独自の食文化を育んでいます。
東京の食文化を現在進行形で体現しているのが、レストラン「六雁」を率いる料理人、秋山能久氏です。高校を卒業してから東京で修行を積んできた秋山シェフの東京への深い愛着、そして絶え間なく進化しつづける東京のトレンドを常に吸収し表現する彼の姿勢は、盛り付けられた料理からはっきりと感じ取ることができます。
名だたるレストランがひしめく銀座の静かな路地に面したビルの6階で、秋山シェフは腕を振るいます。「Mutsukari(六雁)」の刺繍が施された真っ白なコックコートに袖を通すと、秋山シェフは6階フロアの大半を占める活気あふれるオープンキッチンへと向かいます。訪れたゲストが洗い場まで見通すことができるオープンキッチンとカウンターというスタイルは、秋山シェフのこだわりです。料理する際の立ち居振る舞いや所作、スタッフ間で交わす言葉のひとつひとつにいたるまで、秋山シェフの料理哲学──日本の伝統に深く根ざしつつも、世界のトレンドをしなやかにとりいれる姿勢が貫かれています。そこには、東京が国際的な食の都であることがまさしく反映されています。
「東京は本当に多様性にあふれた都市です」と、秋山シェフは笑みをたたえて語ってくれました。革新的で独創的、かつ繊細に抑制された料理は、国際的に数々の評価を受けてきました。秋山シェフは自らの洗練されたアプローチで、その多様性をさらに広げ続けています。
日本の玄関口で、多様性に富む東京と季節の食文化を発見してみては
食材は日本全国から旬のものを選んで、料理に使われます。東京だからこそ、日本の食文化の豊かさをゲストに伝えることができると、秋山シェフは語ります。
「日本の食文化はとてもダイナミックで、季節と密接に結びついているのが特徴です。そして、東京は日本の玄関口──海外からの旅行者の大半が立ち寄る都市です。だからこそ、東京を訪れた外国人旅行者に、日本各地の旬の食材や食文化に根ざした料理を紹介できることは、東京の持つ大きな意義だと感じています」。
また、秋山シェフは東京の食文化の魅力を次のように説明し、自身の料理の創作の秘訣を語ってくれました。
「東京では日本各地から人が集まって切磋琢磨しているように、東京の食文化も各地の郷土料理がもちこまれて再構築──リクリエーションされて生み出されたものです。これが、東京の食文化が多様性に富んでいる理由のひとつです。私も地方に出かけた際に吸収したその土地での食材や料理を、自分というフィルターを通して盛り付けや味付けなど、削ぎ落として一皿の料理に凝縮させています」。
季節野菜の煮こごり。秋山シェフの代表料理は、東京の食文化の多様性と、人とのつながりを大切にする彼の人生観が凝縮された一品。
野菜という食材に目覚めて、精進料理の道へ
東京の北西約100km弱に位置する茨城県水戸市で生まれ育った秋山シェフは、「料理を極めるには東京しかない」と、18歳で料理の道を志し上京。
最初に選んだ修業先は「割烹すずき」。目黒区にある学芸大学駅近くの静かな住宅地に佇む、わずか6席の小さな店でした。そこでの10年間の修行で、和食の基礎と接客のすべてを学びました。その後、世界を旅した際に、食材としての野菜に興味を持ちはじめたそうです。
「世界を見てみたくて海外に旅に出たんです。アメリカ合衆国を訪れたとき、市場に並ぶ野菜の豊富さに驚きましたね。そのときの体験が野菜という食材に目覚め、野菜料理を志すきっかけになっています」。
帰国後に秋山シェフが門を叩いたのは、いまは閉店してしまった「月心居」でした。「月心居」は食材に野菜のみを扱った、多くの料理人に影響を与えた伝説的なレストラン。そこで秋山シェフは、精進料理の真髄を修得。植物性の食材のみを用い、季節の野菜を使ってシンプルで丁寧に調理される精進料理は、和食文化の関心の高まりとともに世界的にも注目を集めています。
「六雁」の開店は2004年。秋山シェフはその理念をさらに洗練させ続け、2024年には世界のベジタブルレストランを紹介するグルメーガストロノミーガイドで、日本の野菜料理レストラン第3位に選出されました。
ただし、用いる食材は野菜のみではなく、肉や魚も取り入れています。その理由を秋山シェフは、「私の料理は精進料理にルーツがありますが、自分が惹かれるのは“食”そのものなんです」と、説明します。
料理だけではなく、それを提供する空間もそろって真のサービスだと考える秋山シェフの理念は、書や生け花を配した日本的な美意識で統一された空間づくりにも現れています。華美ではなく抑揚をおさえたそれらの装飾は茶室を想起させ、茶人の客人をもてなす精神が垣間見られます。
「日本に古来からある美意識は、本当にセンスが良かったんです」と、秋山シェフは穏やかに笑います。
沢煮椀。薄くスライスされたカブの入った汁物。菊の花を散らして、日本の伝統的な器に描かれた模様と合わせて目でもたのしませてくれる。
本などの情報ではなく、実際に見て、触れ、味わうことでインスピレーションを得るという秋山シェフは、東京だけでなく日本各地を訪れ、生産者と顔を合わせることを何よりも大切にしています。「シェフの仕事は、日本各地に根付く食文化を形にして伝えること。その意識をもって毎日メニューを組み立てています。毎朝、自転車で豊洲市場へ向かい、その日の旬の素材を選んでいます」
ときには東京の西端、都心から車で2時間前後かかる奥多摩にも秋山シェフは足を運び、土に触れることもあるそうです。
「若いわさび農家を訪ねるのが好きで、収穫を手伝ったり草むしりをしたりしています。わさびは本当に育てるのが難しいんです。彼らの努力を応援したいと思っています」。
胡麻豆腐。毎朝4時間かけて、胡麻、葛、日本酒、塩のみで丁寧につくられる。穂紫蘇(紫蘇の蕾)など季節の彩りを添えて、生醤油と生わさびでいただく。
愛情と食材への感謝、そして美意識とおもてなしの精神で料理する
秋山シェフは、“最初の一品”として胡麻豆腐を22年ものあいだメニューに取り入れてきました。生の白胡麻をすり、すべてを一から手作業で仕上げた胡麻豆腐には、すりおろした奥多摩の清流で育ったわさびと、季節ごとのあしらいが添えられています。
「一見するとシンプルに見えますが、胡麻豆腐は自分の想いをそのまま込められる料理なんです。心を込めて作ると、味は確実に変わります」と語る秋山シェフ。
「手にはエネルギーが宿っています──胡麻をするときやどんなに小さな作業にも。食べ物には生命の力が宿っているので、口に入れたときにそれを感じてもらいたいですね。それと同時に、現代人が忘れがちな食べることへの感謝の気持ちを思い出してほしいと思います」
秋山シェフのほかのメニューもまた、同じように徹底したこだわりが満ちています。
ドーナツ型をした最中(もなか)は、デザートと見まがうほど可憐な一品。ブルーベリーとラズベリーの白和えに金柑ジャムと奈良漬けをバランスよく立体的にのせ、それをサクッとした食感の最中の皮で挟んで頂きます。一方、十種野菜のテリーヌは、色あいも鮮やかに幾層にも重なる美しい構成で、その横に薄くスライスした黄色と緑色のズッキーニがエレガントな渦状にあしらわれています。それにほんのり燻香をまとったクリーミーなピュレが、アクセントとして添えられています。
ベリー類の白和えもなか。写真映えするアミューズは、箸を使わず、手で持って食べるというスタイル。意外性とともに視覚はもとより触感もあわせて五感で味わう一品だ。
秋山シェフの美意識は、着座したゲストの前に置かれた重厚な半月盆のなかにも見ることができます。ふつう半月盆は円形の盆の一部を直線でカットしてありますが、直線部分がやわらかな曲線にカットされ、その躍動的な曲線部分と美しい木目の箸の直線が心地よい緊張感を生みだし、否が応でもこれから運ばれてくる料理への期待感へと繋がっていきます。こうしたこまやかなデザインへのこだわりは、東京の食文化を端的に象徴しているといっていいでしょう。食への美意識とおもてなしの心を感じることができます。
「調理している際の香り、鍋に具材を注ぐ音、料理を盛りつける器の美しさ……。私は“食”を、“五感で味わう体験”だと考えています」と秋山シェフは語ります。
こうした秋山シェフの哲学は、多くの点で東京そのものを映し出しています。東京では“食”を単なる味覚の体験ではなく、季節を感じ、職人の技に触れ、人とのつながりも大切だと捉えられており、まさしく秋山シェフの哲学に通じています。
また秋山シェフは、「サステナビリティ」という言葉こそ声高に掲げないものの、日々の仕事を通じてサステナビリティをごく普通に実践しています。たとえば、大根の皮は細く切って乾燥させた“切り干し大根”にして、無駄なくすべて使うようにしています。
「日本には、幾世代にもわたる知恵が詰まった伝統的な食材や調理法が豊富にあります」と秋山シェフは言います。
慌ただしく時が過ぎていく東京において、秋山シェフの取り組む食のサステナビリティは、食文化の革新と伝統を同時に体験できる機会を生みだしています。つまり、秋山シェフのオリジナリティあふれる創作料理では、現代に受け継がれている日本の伝統的な食材とそれに関する知恵も同時に味わうことができるのです。これこそ、東京の食文化が伝統を尊重しながら進化し続けている証といえます。
オープンキッチンとカウンターのスタイルにこだわる理由とは
秋山シェフは、これまで料理人として培ってきた経験をスタッフたちに伝える立場にあります。それは身だしなみの徹底から卓上の配膳の細かな位置、厨房で使う器具の扱い方などあらゆる事に及びます。「食材の切り方ひとつで、できあがった料理の味は大きく変わります」と、秋山シェフは説明します。
また、開店前の毎日のミーティングでは、ゲストに最高の食体験を経験してもらうために、非常に細かい点までスタッフ間で情報を共有します。たとえば、左利きのゲストの席次やテーブルセッティングといったことにまで及びます。
「オープンキッチンなので、すべての動作がゲストから見られています。だからこそチームが一体になって動く必要があります。もちろんプレッシャーもありますが、それこそが最高のパフォーマンスを引き出す原動力なのです」。
また、秋山シェフは外国人旅行者には、日本での食事のマナーを温かく伝えることもあります。
「食事中にスマートフォンで大音量の音楽を流す方がいらっしゃったので、やんわり止めていただきました。箸の使い方や置き方などもそっとお伝えします。こうした行動も“おもてなし”の一部なんです」。さらには料理の説明だけでなく、東京滞在がより良いものになるよう、東京の楽しみ方のアドバイスもします。
秋山シェフの料理哲学の核には、東京の絶え間ない進化が大きく影響しています。秋山シェフにとって“食”とは、創作へのインスピレーションであり、感謝の表現であり、人と人をつなぐ媒介なのです。秋山シェフが生み出す一皿一皿には、まさにそうした東京の本質が凝縮されています。
「東京は、ほんとうに多様性に富んでいます。まさに奇跡のような都市だと思います」。
唯一無二の味、伝統、そしておもてなしを発見することができる東京のダイナミックな食文化をぜひ、経験してみてはいかがでしょうか。
六雁
秋山 能久
あきやま よしひさ
1974年茨城県生まれ、高校卒業後、東京・目黒区鷹番の「割烹すずき」で10年間修業の後、表参道にあった精進料理の名店「月心居」にて野菜と精進素材に向き合う現在のスタイルに到達。2005年「六雁」総料理長に就任。現在は東京観光大使として、東京の魅力を国内外に広く発信する役割も担っている。
住所
東京都中央区銀座5-5-19 銀座ポニーグループビル 6F・7F
http://mutsukari.com/
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