思いを込めた一皿に、フランスの気風と日本の心が融合する
日本食以外のレストランの多さと、その高いクオリティで、訪れる人を驚かせている東京。東京の食が誇る類まれな多彩さと完成度は、偶然に生まれたものではありません。背景には、世界中の食文化を受け入れてきた歴史と、それらを独自に磨き上げてきた日本の飽くなき探究心があります。その姿勢を最も象徴しているのが、日本における西洋料理の歩みです。明治初期に伝来して以来、日本人の味覚、生活習慣、食材事情に合わせて改良され、「洋食」という新ジャンルを確立。ハンバーグやナポリタンなどの料理として独自の発展を遂げました。それはまさに、外来の文化を独自の感性で受け入れ、新たな価値へと昇華させる東京という都市の「受容と創造」の精神を象徴しているといえるでしょう。
そして今、この成熟した東京の食シーンを、フレンチの気風と日本の心を融合させた料理で活性化しているのが、関谷健一朗シェフです。フレンチの皇帝、ジョエル・ロブション氏に師事し、現在はシャトーレストラン ジョエル・ロブションのエグゼクティブシェフとして東京で活躍する関谷氏。世界を知るシェフが感じる、「伝統と革新が絶えず交わる」東京の食のシーンについてお話を伺いました。
パリと東京で得た料理への情熱
1990年代半ば、まだ高校生だった関谷シェフは自身の将来を模索し、幼い頃から見るのも食べるのも好きだった、料理の道に進むことを決意しました。そして、高校卒業後に調理専門学校で研鑽を積み、2002年にパリへ渡ります。2006年にはパリのラトリエ ドゥ ジョエル・ロブションに入店した関谷シェフは、めきめきと頭角を現し、26歳という若さでロブション氏本人から副料理長に指名されました。
パリは東京同様、世界中の人々が集う都市であり、様々な国籍の人々と共に働く機会を提供してくれました。関谷シェフは、「彼らの文化に触れることで、物事に対する新たな視点を得られた」と、当時の経験を語ります。
こうした多様性のある環境で働いた後、ロブション氏の任命により日本に戻り、東京・六本木のラトリエ ドゥ ジョエル・ロブションの料理長に就任。その4年後の2021年には、さらなる大役を担うことになります。それは、総料理長として、アジア最大級の市場である東京のロブショングループを統括する役目でした。多様な食材を扱うことができる地域であれば、どこでも働きたいと考えていた関谷シェフにとって、東京という舞台は魅力的な場所の一つだったに違いありません。
東京・恵比寿にあるシャトーレストラン ジョエル・ロブションは、同エリアで最も象徴的なレストランかつ建築的ランドマークの一つです。
当時を振り返り、関谷シェフは「パリは世界屈指の観光都市で、豊かな食文化を持っています。しかし、それに比較しても、東京の食のバリエーションの広さと、それぞれのジャンルのクオリティの高さは、世界でも類を見ないレベルだと感じました。その根底には、東京が食の伝統を大切にしながらも新しいものを受け入れる、懐の深さがあるのだと思いました」と、語ります。
加えてこの街には、日本全国、そして世界中から旬の食材が集まります。作り手にとって、これほど刺激的な環境はありません。「僕のような料理人には、東京は自由に食材を選びながら、発想を広げてくれる場所でした。その自由さこそが、東京らしい料理を生み出す源泉なのだと思います」。
確かに東京では、誰もが多彩な食体験を堪能できます。例えば特別な日には、計算しつくされた季節の食材が、ひとつひとつの器に盛られコース形式で提供される、懐石料理の繊細な味に浸ることができます。また、今日はフランス料理、明日はインド料理など、東京では毎日違う国の料理を味わうことも可能です。
関谷シェフはまた、こうした東京の食文化の豊かさが食通の舌を育み、それが料理人たちの成長につながっていると指摘します。「東京ではあらゆるジャンルのシェフが切磋琢磨し競い合っています。そして食べる側も、幅広く食べることで多様な経験を積む。だから、ここでの手抜きは絶対に許されないのです」。
期待に応え続けるために、関谷シェフは、一皿の料理、一つの工程に対しても、決して嘘のない真摯な姿勢で向き合わなければならないと感じています。
親しみやすさと繊細さ、おもてなし文化の融合
東京という大都市でロブションの看板を背負いながら、日々おいしさへの試行錯誤を続ける関谷シェフが、お客様を迎える上で大事にしているのが「おもてなし」の精神です。その本質は、おいしい料理を提供し、それぞれの顧客が求めているものを満たすために、最善を尽くすことにあります。
お店の空間作りについては、フランス語で親しみやすい雰囲気や会食の喜びを表す、「コンヴィヴィアリテ(convivialité)」を重要な要素に位置付け、誰もが快適に過ごせるように配慮しています。
独自のルームフレグランスまで含めた特別な空間を提供することは、関谷シェフのこだわりのひとつです。
一方で、関谷シェフはおもてなしについて「自分でも、いまだに何が正解か分からないんです」と苦笑します。その象徴として挙げたのが、「おしぼり」についての悩みです。海外からの訪日旅行者にも喜ばれるこの文化ですが、関谷シェフはその「温度」にさえ考えを巡らせます。
「夏は冷たいのが嬉しいだろうか。いや、冷房で体が冷えているなら温かい方がいいかもしれない。そんなふうに、お客様の顔を浮かべながら迷ってしまう。でも、こうして相手を思って悩むこと自体が、日本人らしいおもてなし精神の表れなのかもしれません」。
フランス流の「コンヴィヴィアリテ」と、日本流の「繊細な配慮」。この二つを深く理解し尊重しているからこそ、関谷シェフのおもてなしは唯一無二のものとして、サービスを受ける方の心を動かします。
目の前のお客様に、今できる最善を尽くす
関谷シェフは、「いつも“お客様一人ひとりに最高の一皿を提供する”という心で作っている」と語ります。
おもてなしの心を持って「個」に寄り添う姿勢は、訪日旅行者が増え、食の嗜好が多様化する東京ではより一層、重要性を増しています。ヴィーガンやベジタリアン、アレルギーへの対応など、レストランに求められるリクエストは多岐にわたりますが、関谷シェフの姿勢は驚くほど柔軟です。
「お客様のご要望に合わせるのは、私にとってはごく自然なことです。予約がなくても精一杯対応しますし、事前にご相談いただければ、より喜んでいただける準備ができます。何でも気軽におっしゃっていただきたいです」。
こうした配慮は関谷シェフが東京に戻って以来、絶えず実践してきたことです。そしてその誠実な姿勢は、食材に対しても同様に向けられています。「訪日旅行者にとって、各地から集まった貴重な食材を東京で味わえることは、とても魅力的なことです。だからこそ、私たちは一つひとつの食材を大切に扱い、余すことなく使い切る責任を感じています」。
関谷シェフにとって、調理の過程で出る端材を工夫して一品を作ったり、付け合わせに生かしたりすることは「料理人としての当然の作法」です。サステナビリティという言葉が提唱される前から、食材への敬意としてそれを実践してきました。こうした「当たり前」こそが、関谷シェフのすべての物事に対する思いやりの現れであり、積み重ねることで料理に深みを与えているのです。
東京ならではの体験と遊び心が詰まった「食の風景」
これまで思いやりを持って、誠実に食と向き合ってきた関谷シェフの目に、今の東京の食文化はどう映っているのか。長年パリで生活し、外からの視点も持つ関谷シェフが思う、東京ならではの「食の風景」とはどのようなものでしょうか。
「特に喜ばれると感じるのは、カウンター文化ですね。お寿司や鉄板焼き、焼き鳥など、目の前で料理が作られていくワクワク感は、訪日旅行者にとって最高のエンターテインメントだと思います。気軽にカウンターで楽しむのも、東京らしい素敵な体験ですよね」。
さらに、訪日旅行者から「受けが良い」と太鼓判を押すのが回転寿司です。
「お皿が流れてきたり、注文したものが電車に乗って運ばれてきたり……。あのハイテクな『ミニ寿司工場』のような光景は、日本ならではの遊び心が詰まっています。海外にはないスタイルですから、ぜひ楽しんでいただきたいです」。
「完成」はない。だからこそ、学び続ける
大衆的な食の現場にさえ、独自の進化や工夫を見出す。そんな尽きることのない好奇心こそが、関谷シェフの原動力と言えるかもしれません。その「学び」への興味は、今も全く衰えていません。
「パリにいた時も、そして今も、日本人でありながら自分がいかに日本のことを知らないかに驚かされることがあります。料理の技術はもちろん、伝統文化や海外の最新のムーブメントなど、学ぶべきことは無限にあります。広い視野を持つことが、料理のオリジナリティを広げる唯一の道だと信じています」。
振り返れば、かつての日本のフランス料理界では「本場フランスの味をいかに忠実に再現できるか」がステータスでした。それが今では、個々の料理人がフランス料理の鉄則を重んじながらも、日本ならではの細やかな感性やこの場所だからこその「東京らしさ」をどう表現するかに変わっています。これは、東京のフランス料理が単なる模倣を超えて、独自のアイデンティティを確立する新たなフェーズに入ったことを意味しています。
では、こうした時代の変化の中で、関谷シェフ自身は皿の上にどのような「個」を描こうとしているのでしょうか。その新たなビジョンを象徴する、いわば「代表作」について尋ねると、関谷シェフは少し考えながら、しかし真摯な眼差しでこう答えました。
「納得できる一皿、代表作と言えるものは、まだこれからだと思っています。料理人というのは、自分の料理に100%満足することはありません。きっと一生、完成することはないのかもしれませんね」。
そんな関谷シェフが、「東京らしさを表現する一皿」ということならと、少しだけ考えを明かしてくれました。「東京には日本中、世界中からあらゆる食材が集まります。ですが、食材が多すぎるからこそ、料理人としての真価を問われる難しさもあります。それらの複雑な要素が融合し合いながら、一つの美しいハーモニーを奏でる。そんな一皿が作れたらおもしろいですよね」。
代表作はまだとはいえ、関谷シェフの作る一皿一皿は芸術品。五感すべてで楽しむことができる傑作ばかりです。
多種多様な文化が混ざり合い、洗練されていく東京という都市。そのダイナミズムを凝縮しながらも、一点の曇りもない味わいを支えるのは、料理に対してどこまでも実直で、少しの妥協も許さない関谷シェフの誠実な姿勢に他なりません。料理人として数々の栄誉を手にした今も揺るがない、この料理への信念と純粋な献身こそが、東京におけるフランス料理をさらなる高みに押し上げ、そして食文化全体の進化を牽引していくはずです。
シャトーレストラン ジョエル・ロブション
関谷 健一朗
せきや けんいちろう
エグゼクティブシェフ
1979年千葉県生まれ。26歳でパリのラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション副料理長に就任。2010年に東京店の運営を任され帰国。六本木店を経て、2021年にシャトーレストラン ジョエル・ロブションのエグゼクティブシェフに就任。受賞歴多数。現在は東京観光大使として、東京の魅力を国内外に広く発信する役割も担っている。
住所
東京都目黒区三田1-13-1 恵比寿ガーデンプレイス内
https://www.robuchon.jp
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