伝統的な懐石料理、東京の食の新たな進化と挑戦
日本料理を代表する「懐石料理」は、安土桃山時代、茶会で濃茶をいただく前に、からだを温め空腹をしのぐ軽食として生まれました。時代とともに形を変え、今日では、料亭で楽しむ豪華なフルコース料理へと進化しています。
江戸時代より東京では、近隣で獲れた新鮮な旬の魚介や野菜が集まったことから、新鮮な食材を使う懐石料理にも地産地消の精神が息づいています。また寿司文化を起源とし、料理人とお客様が向き合って会話を楽しむ「カウンタースタイル」も育まれました。
地産地消、カウンタースタイル、さらには乳製品をはじめとした洋の食材を取り入れるなど、懐石料理に東京の伝統と革新を融合させた独自の「ニュー和食」を提案しているのが、日本橋ゆかりの三代目主人・野永喜三夫シェフです。
全ての道は日本橋へとつながる
生粋の江戸っ子である野永シェフが生まれ育った「日本橋」には、江戸の人たちの生き方や考え方が今も受け継がれています。古い歴史と伝統、そして現代の高層ビルが共存する、伝統と革新が交わる街。江戸時代には五街道の起点として栄え、商業の中心地のひとつであったと同時に江戸を象徴する玄関口でもありました。
東京初の魚市場に、現存する百貨店など、多くの「東京初」は、この地に起源を持ちます。また数多くの老舗専門店が軒を連ね、和食に欠かせないかつお節や昆布などの素材から、刺身を切る柳包丁、新鮮なわさびをすりおろす鮫皮おろしといったプロユースの調理器具専門店もここにあります。
京都での修行が東京の再発見へ
野永シェフは東京の服部栄養専門学校で学んだ後、京都の名店「菊乃井」で6年半修行しました。そこで知ったのは地元の食材に目を向けることの大事さ。加えて京都の料理人が「皆で支え合っている」ことを意識して、食材の生産者や器の職人、流通従事者に至るまで、関係するすべての人々を大切にしているということでした。
当時の東京、こと和食の世界において、同様の考えを持つ人は少なかったと野永シェフは語ります。修行5年目には、師匠・村田吉弘氏から、「無我夢中」という名言とともに弟子の証である本焼き包丁を与えられました。その言葉の向こう側に、日本橋ゆかりの三代目として、もう一回“無我夢中”で江戸の料理を修行し直せという激励を感じました。そして東京に帰った時には、自分も師と同じように、地元の食材と、料理の陰で立ち働く皆さんを大切にしていかないといけないと強く意識し、これが東京での野永シェフの活動の原点になっているのでした。
「2つの要素」の良いところを融合させる
野永シェフは自分の料理について、「いいとこどり」と表現します。それは京都と東京の料理の良い部分に敬意を表する姿勢、また和食でこれまで使用されなかった食材を取り入れる「ニュー和食」というスタイルにも表れ、固定観念に囚われることなく、伝統を守りながらも時代に合わせた進化形を模索しています。
京都での修行を終えた野永シェフが、東京に戻って最初に取り組んだのは、伝統的な料亭の本質を守りつつ、店のスタイルを刷新することでした。
接待の場となる個室には伝統的な趣を残しつつ、割烹スタイルのカウンター席を新設。この席により、カジュアルで洗練された食体験も可能になりました。カウンター席を、「お客様と料理人の境界線で双方の好奇心が溢れ出す場所」と野永シェフは表現します。「オープンキッチンで料理のパフォーマンスを見せながら、こだわりの東京の食材についても話せる。発信力、というのもカウンター席の良さですよね」。
2つの要素の良いところを融合させるという点は、そもそも懐石料理の世界にも根付いています。野永シェフは、懐石料理を「季節を感じさせるもの」と捉えています。料理に旬の食材や、正月や端午の節句(5月)といった行事を取り入れつつ、器やしつらいといった空間演出を通じて感情を呼び起こす。細部にまで意味を込めた料理を提供することであり、懐石料理という舞台では、料理と演出が「2つの要素の良いところを融合させ」お客様を楽しませます。
東京に戻ってからも、野永シェフの「いいとこどり」への探求は続きます。味付けにおいては特に、醤油の使い分けに心を砕きました。力強く鋭い風味が特徴の関東の濃口醤油と、繊細で上品な味わいを持ちながら塩分濃度が高い関西の淡口(うすくち)醤油。料理によってうまく使い分けることで、素材の色を引き出しながら、塩味や出汁の味もしっかり感じられる工夫をしています。
カウンターでは、シェフの精緻な料理技法を間近に見ることができます。
地元食材とともに歩む
懐石料理の原則は旬の食材を使うことですが、野永シェフは「単に料理人が地元食材を使うことではない。農家や漁師、器の職人など、関係するすべての人々の調和が大切」と強調します。東京には江戸時代から続く伝統野菜も多く、それらは「江戸東京野菜」として受け継がれてきました。千住ネギ、内藤かぼちゃ、内藤トウガラシ、練馬ダイコン、品川カブ、ごせき晩生小松菜などがその例で、畜産は主に八王子や町田など東京都西部で行われています。
「私たちが行うことはすべて、多くの人々に支えられており、東京の豊かな食材を広く伝える責任を感じています」と野永シェフは言います。「お客様には、これが東京で伝統的に栽培されてきた品種であることを知ってほしいのです」。農産物が都内で作られていることで、輸送コストや人員の削減も可能に。東京の料理人は、いつでも最高級で新鮮な食材を手に入れることができるのです。
伝統を尊重しつつ、地域を重んじ新たなものを創造する。野永シェフは、自身の懐石料理のスタイルを「ニュー和食」と命名しました。
日本橋ゆかりの看板料理「小松菜のおひたし」。江戸川産のごせき晩生小松菜を、出汁と野菜で炊き合わせたもの。
マグロと2色の千住ネギのお椀。
伝統を再解釈し、現代の東京とその先へ
野永シェフが自身の懐石料理を「ニュー和食」と名付けたのは、「ニュー=牛乳」の語感に遊び心を込め、東京産の乳製品を探したことがきっかけでした。「懐石に乳製品を使うのは挑戦でした。乳製品は日本料理に合わないと言う料理人もいますが、私はチーズを調和させることに成功しました」と語ります。看板料理の茶碗蒸しには、町田でこだわって作られた卵と東京産モッツァレラチーズを使い、お茶漬けにかける小さなあられ「ぶぶあられ」を添えて提供。なめらかなカスタードと繊細な食感が調和する逸品に。「地元産の食材と知って驚かれるお客様が多いんですよ。東京産の食材の存在を伝え、東京の産地としての豊かさを紹介する責任も感じています」。
東京産の卵を使用した一味違う野永シェフの名物、モッツァレラチーズ入り茶わん蒸し。
東京の多様性と柔軟性が輝くおもてなし
野永シェフは「絶え間ない進歩と進化、新しいことへ挑戦する気持ちがとても重要。それを受け入れる場があるのも東京の魅力」と語ります。
食事を楽しむポイントを尋ねると、「日本での習慣に気を配っていただければ」と答えてくれました。
日本橋ゆかりでは温かいおもてなしを重視したいと、食事の細かいルールは定めていませんが、一般的に寿司や懐石料理店では、強い香りを発するものは忌避されがち。繊細な香りを大切にしているため、香りが味を損ねると考えられています。香水、匂いの強いヘアケア製品や制汗剤、食前・食中のたばこなどは控えたいところです。
将来、東京であなたを待ち受けるもの
店の玄関には小さな石庭があり、すだれが日差しを和らげます。暑い日には石畳に打ち水をして通路を冷やし、お客様を迎える前からおもてなしの心を表します。
いかがでしたか? 東京では懐石料理を、伝統的な形で楽しむ「料亭」から、より気軽に楽しめる「カウンタースタイル」まで、さまざまな形で体験できます。カウンター越しにシェフの包丁さばきを見たり、食材について尋ねたりすれば、より料理人とのつながりが深まることでしょう。
東京はこのように、伝統的な懐石料理からその進化系、江戸東京野菜をはじめとする東京産食材を使った地産地消など、魅力的な料理、食材、お店で溢れています。世界有数の美食都市・東京でぜひ、心ゆくまで堪能しましょう。
日本橋ゆかりの表構え。
附録:東京産農産物のAからZまで
本記事でとりあげ、野永シェフが頻繁に使用する江戸東京野菜やその他農産物を、それぞれの背景にあるストーリーとともにご紹介します。
上/千住ネギ、下/ごせき晩生小松菜の束。
- ごせき晩生小松菜は江戸川産。小松菜の名は江戸川区の現在の小松川地区に由来しています。現在広く流通している一般的な小松菜は、本来の小松菜に白菜を交配し通年収穫を可能にした品種ですが、白菜の苦味がかなり強くなっています。一方、ごせき晩生小松菜は、伝統的な在来種から改良され通年収穫が可能になった品種のため、苦味がほとんどありません。このことを東京に住む人たちの多くが知りません。
- 「内藤かぼちゃ」と「内藤トウガラシ」は、新宿御苑近くの地域が原産地。この地域はかつて内藤町と呼ばれ、江戸時代には五街道の一つである甲州街道において、日本橋から最初の宿場町が置かれていました。
- 千住ネギは足立区千住地区で生産される伝統的なネギです。その種子は400年以上前の大坂城落城(1615年)後に江戸へ持ち込まれたと伝えられています。
- 東京ビーフは、八王子、奥多摩、秋川地域にある農場で飼育されています。霜降りの美しさ、柔らかさ、豊かなうまみを備えた高品質な国産和牛のブランド牛の総称です。
- TOKYO Xは、豚肉では珍しい霜降り肉が特徴の高品質豚肉ブランド。東京で生産されています。昨今、生産農家が激減していますが、野永シェフは八王子市にある澤井農場のTOKYO Xのみを使用しているそうです。
日本橋ゆかり
野永 喜三夫
のなが きみお
1972年東京都生まれ。服部栄養専門学校卒業後、京都「菊乃井」の村田吉弘氏のもとで6年半修行。1997年、実家の料亭「日本橋ゆかり」の三代目店主に就任。現在は東京観光大使として、東京の魅力を国内外に広く発信する役割も担っている。
住所
東京都中央区日本橋3-2-14
http://nihonbashi-yukari.com
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