素材と対話する緻密な職人技が生む“天ぷら”の極意

2026年10月27日

天ぷらは、江戸の町の屋台で人気の料理だったという歴史があります。その屋台の誕生は、江戸時代の中期、安永年間(1772〜81年)と言われています。江戸の屋台の天ぷらは、穴子、芝えび、こはだ、小柱、するめいかなど、江戸前の魚介(今の東京湾で獲れた魚介)を使い、小麦粉をゆるくといたものを衣(ころも)にして、胡麻油で揚げます。大きく見せるために厚い衣をつけて揚げていたようです。江戸時代の末には専門店が生まれ、高級料理としての地位を確立してもなお、天ぷらとは魚介を揚げる料理という伝統は、その後も長く続きました。

現代の天ぷら専門店では、魚介だけでなく季節の野菜を揚げて楽しませてくれます。衣も薄くなり、素材の色合いも美しい料理に大きく変貌しました。その立役者がいます。『てんぷら近藤』の近藤文夫さんです。

1947年生まれの近藤さんは、多くの著名人や作家に愛された東京・神田駿河台の「山の上ホテル」に、18歳で入社。真面目で一本気な近藤さんは、そこで頭角を現し、23歳で同ホテル内の「てんぷらと和食 山の上」の料理長に抜擢されます。
「その頃の天ぷら部門は売り上げ不振で採算が取れず、会社ではお荷物だと言われていました。ですから、まずは天ぷらに徹し、天ぷらを変えてやろうと決意しました。けれども、どんなにいい素材を使っても厚衣(厚いころも)の天ぷらでは香りも美しさもない。まずは素材の持ち味が生きる薄衣にして、魚介だけなく季節野菜も多く取り入れようと考えました」

そのきっかけとなったのが、当時、日本ではめずらしかったグリーンアスパラガスです。
初めてグリーンアスパラガスを食べた近藤さんは、山菜に似たその味から、天ぷらに向いていると直感。野菜を美味しく揚げるためには、軽やかな薄衣でなくてはならないと確信します。
「アスパラガスは手で折った際の‟パキッ“という音で、その新鮮さの度合いと水分量を見極めます。時間が経ったものはしなってしまい、手で折ることが出来ないのです。そうした野菜本来の美味しさを知るために、休みの日には産地に出向いて、収穫したばかりの野菜を生で味わうことから始めました。特にアスパラガスは収穫直後のほうがはるかに美味しい。食感、歯ごたえ、さらには野菜を育てる水や周囲の環境。それはどうしたって現地に行かなくては分からない。私は今でも必ず産地を訪ねて、その環境に合った野菜の揚げ方を考えるようにしています」

天ぷらを単なる揚げ物ではなく、火入れや衣のつけ方など、素材ごとに異なる仕事によって設計する料理だと、新たに定義づけることでもありました。車海老に始まる自慢の魚介と共に、アスパラガス、そら豆、たけのこといった旬の野菜を数多く取り入れ、その美味しさを際立たせた薄衣の天ぷらは絶賛され、以降、20年以上にわたって各界の著名人から愛され、名声を築き上げました。

名物‟さつまいもの天ぷら“にみる余熱調理

1991年に独立。銀座に『てんぷら近藤』を開業した近藤さんは、さらに斬新なアイデアで天ぷらの世界に新風を巻き起こします。
「天ぷらは揚げ物ではなく‟蒸し物“」と語る近藤さんにとって、天ぷらは素材の水分を利用するもの。薄衣で素材を包み、油の中で素材自身の水分で蒸すように火を入れていきます。そうして熱と水分によって旨味を引き出された素材は、油から引き上げた後も余熱で火が入ります。この余熱を利用して世に送り出したのが、お客様が必ず注文する名物‟さつまいもの天ぷら“です。

「それまで私は、さつまいもの天ぷらを一度も美味しいと思ったことがありませんでした。ですから、店でも出したことがなかった。ところがある日、焼き芋を食べていて『焼き芋はこんなに美味しいのに、なぜ天ぷらはまずいんだろう』と疑問を持ちました。そこで『よし! それなら焼き芋に勝るものをつくってやろう』と決心。辿り着いたのが、さつまいもを大きいまま30分かけて揚げた後、ペーパーで包んで余熱で仕上げることでした」

長さ7~10㎝ほどの大きな円柱形のさつまいもに完璧に火を通せば、当然、表面が揚がりすぎて美味しくなくなります。そこで、さつまいもを170℃の油で30分揚げて取り出し、すぐにペーパーで包んで余熱でじっくり蒸らすことにしたのです。こうすることでさつまいもの中心まで火が入り、ほっくりとした食感と得も言われぬ甘い香りが生まれました。完全に火が入る一歩手前で油から上げて、余熱で仕上げるため、みずみずしい風味も生きています。それは油から引き上げた時点で火入れを完結させるという従来の考え方に、これまでタブー視されてきた余熱の活用にも踏み込んだ、常識を打ち破るオリジナルの天ぷらでした。

五感を使って揚げる

「天ぷらの本質は衣で包み、食材自身の水分と熱で蒸し上げる余熱調理にあります。大事なのは、素材の水分を保つこと。それは‟揚げ物“では絶対にできないことです。天ぷらは中にある水分をうまく利用する‟蒸し物”と考えた方がいいんです」
さらに天ぷらは、その時季の素材の質にも左右されるため、ただ単に時間を決めて揚げるだけでは、なかなか美味しい天ぷらにはならないと近藤さんは言います。そこで頼りになるのは、やはり五感を駆使すること。油のはねる音を聞き、香りを嗅ぎ、箸先の微妙な感触と目で見える感覚のすべてを使って、初めていいテンポで天ぷらを揚げることができます。当然、串で刺して確かめるなんてご法度。衣をちょっと刺しただけでも、そこから油が入って油っぽくなってしまうのです。

「衣のつけ方も大事です。バラバラになっちゃうとダメ。ちゃんと粉(小麦粉)をつけて、ちゃんと余分な粉をふるってあげないと。それによって衣は上手にくっつくようになり、衣と粉の間に空間ができるんです。その空間ができることによって、素材が持っている水分が出てくる。それを受け止めるのが衣なんです」

人参の天ぷらもオリジナル性に富んだ一品です。苦手な人が挙げる人参の匂いや歯ごたえといった課題を解決するため、調理法を工夫。極細に切って揚げることを思いつきました。
「野菜は切られると自己防衛のために成分を変化させますから、その力を利用して旨味を引き出すことができます。特に人参は細かくすることで甘みが増すという特性を持っています。料理はイメージがないと生まれません。人参を極めて細く切るという発想は、ホテル時代にやった飴細工からインスピレーションを得ました。それを料理の形に落とし込んだんです。明確なイメージがなければ、質の高い料理は生まれません。食べる人が喜ぶ姿を想像することが、よりよい一品をつくる原動力となるんです」

細く切った人参は、油に入れた瞬間にパーっと鍋中に散らばります。これを見て「花火」と言ったお客様もいたとか。投入する瞬間の油の温度が全てを決定し、高すぎても低すぎても理想的な食感は生まれません。
「これはかき揚げじゃなくて、寄せ揚げ。全体がくっつくようになるまでずっと待っているから結構忍耐力がいります」

当然、野菜の端も捨てずに活用。食材の持つポテンシャルを余すことなく利用しています。
「お金をいただく料理ですから、美味しくない部分は除かないと。そうやって選別されたものに対して、お客様が代金を支払ってくれるんですから、それに対して最上のものを出すのが私たちの仕事です。もちろん、余ったところは店のまかないでちゃんと食べますよ」
有機野菜にこだわるのも、食べる人の安心を支えるのは料理人の責任だと考えているため。一つ一つ素材を見極め、野菜が育つ土や水辺の環境まで含めて、素材の良し悪しを読み解きます。たとえば、京都の赤土で育つ‟たけのこ“は生産者と直接契約。味のよさでお客様に喜ばれています。また、‟賀茂なす“は外側をしっかり揚げて、中のとろりとした食感を際立たせるなど、その年ごとの品質に応じても揚げ方を微調整。春の山菜の‟ふきのとう”は、あらかじめ蕾を開いて揚げることで苦味を半減させています。

銀座で店をやるということ

銀座にある「てんぷら近藤」は、天ぷら職人歴60余年の近藤さんが、「天ぷらは、料理人がゲストをお招きする料理」との信念から、今も昼夜問わず店のカウンターに立ち、日々、天ぷらを揚げています。あらかじめ事前ヒアリングでお客様の苦手や禁忌を把握し、ベジタリアンには野菜中心のコースにするなど柔軟に対応するといった、こまやかな心遣いが光ります。
近藤さんを囲むように設えられたカウンター席には、今日もさまざまな海外からのお客様が集い、黙々と天ぷらを揚げる近藤さんの姿を熱い視線で追い、目の前に置かれた揚げたての天ぷらに舌鼓を打ちます。そこに存在するのは、‟お客様は平等“という思いと、温かいもてなしの心なのです。

東京で食べられる様々な料理や東京の食文化については、他にも本サイト内で紹介しているのでご覧ください。

てんぷら近藤

近藤 文夫

こんどう ふみお

1947年東京生まれ。18歳で東京・神田駿河台「山の上ホテル」に入社。23歳より「てんぷらと和食 山の上」の料理長を務め、以後20年にわたり同店で腕をふるう。1991年に独立し、銀座に「てんぷら近藤」を開業。職人歴60年、今なお斬新なアイデアで天ぷら界を牽引し、若手の育成にも力を注ぐ。「天ぷらは、料理人がゲストをお招きする料理」との信念から、昼夜問わずカウンターに立つ。2019年「現代の名工」を天ぷら職人として初めて受賞。
住所
東京都中央区銀座5-5-13 坂口ビル9階
https://tempura-kondo.com/

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