東京・歌舞伎座で味わう文化と食の融合『幕の内弁当』
東京では、江戸時代から続く食と文化が、今も大切に守られています。幕の内弁当もまた、江戸の人々が親しんだ芝居文化「歌舞伎」とともに育まれてきた味わいです。その成り立ちや美意識、楽しみ方について、時代小説家で江戸料理文化研究家の車浮代氏に話を伺いました。
江戸時代、芝居文化の中で誕生した『幕の内弁当』
東京・銀座の歌舞伎座では、一年を通して歌舞伎公演が行われています。京都でも上演はありますが、継続的に歌舞伎観劇できるのは世界で唯一の専門劇場の歌舞伎座だけ。特に、歌舞伎初心者におすすめなのが、「一幕見席(ひとまくみせき)」です。通常1公演3~4幕で構成され、トータル4時間ほどかかる歌舞伎を、1幕だけ気軽に観ることができるので、「理解できるか」、「ハードルが高くないか」と心配する必要がありません。一幕見席のチケットは、観劇前日からオンラインでも購入することができます。
また、演目は様々あるものの、東京では派手な立ち回りが多い「荒事(あらごと)」が好まれます。動きがあるので、外国の方にわかりやすい内容となっています。
歌舞伎の代表的な演目である「連獅子」は、演者が紅白の髪を大きく振る「毛振り」というダイナミックな動きを見せることで知られ、その華麗さから多くの訪日観光客を魅了しています。 Photo by COOLMedia/NurPhoto via Getty Images
歌舞伎観劇に欠かせないのが「幕の内弁当」です。江戸時代から芝居小屋で食べられてきたこの弁当は、観劇の休憩時間に楽しむのが定番で、歌舞伎の醍醐味のひとつとされています。名前の由来には諸説ありますが、もともとは役者や舞台裏のスタッフのために用意されたものが、やがて観客向けにも提供されるようになりました。「役者が幕の内側で食べる弁当」から「幕と幕の間に食べる弁当」になったという説が主に知られています。
江戸時代には、歌舞伎の公演が朝から夜まで長時間行われており、幕間に弁当を食べることは欠かせないものでした。江戸っ子たちは、貸衣装で着飾って暗いうちから出かけ、食事や酒を楽しむなど、現在よりも自由なスタイルで歌舞伎を楽しんでいたといいます。今でも、師匠や先人の名を継ぐ「襲名」や初舞台などの顔見世興行(観客に俳優の「顔を見せる」重要な興行)では、演目にちなんだ特別な弁当が販売されることもあり、人気を博しています。
また、土間や板の間を四角形に仕切った観客席の「桝席」は、江戸時代の初め頃から歌舞伎や人形浄瑠璃の芝居小屋で普及しはじめた日本独自の劇場様式です。江戸時代は庶民が集団でくつろぐカジュアルな席として楽しまれていましたが、今では文化的価値と空間の特別感から、一般席(椅子席)より、桝席や畳敷きの席のほうが高価格帯に設定されています。
歌川豊国(3世)「踊形容東絵栄」東京都立中央図書館蔵。花道には初代河原崎権十郎(後の九代目市川團十郎)。
江戸時代の歌舞伎鑑賞の様子。当時は飲食自由、朝から晩まで公演が行われ、お気に入りが登場するまでは寛いで過ごすなど、歌舞伎が今より身近でカジュアルな存在。
歌川豊国(3世)「東都高名会席尽 髭の意休」東京都立中央図書館蔵。幕の内弁当そのものの絵が描かれています。
幕の内弁当の魅力~目と舌で味わう江戸の美学~
白飯と副菜を組み合わせた「幕の内弁当」という名が定着したのは、江戸時代後期のことです。芝居文化の中で生まれ、観劇の場に華を添える弁当として親しまれました。
江戸料理文化研究家の車氏は「江戸料理には通底する美学、美意識がある」と語ります。粋と遊び心を重んじる江戸っ子たちは、料理にも趣向を凝らし、味だけでなく見た目や食べやすさにもこだわりました。
芝居見物は庶民にとって特別な晴れの日。そのひとときを彩る幕の内弁当は、贅を尽くしたもてなしの象徴でした。当時は劇場内で食事が許されていたため、暗がりでも食べやすいよう、ご飯は小さな円盤型の焼きおにぎりに。現在では、俵型の一口サイズに型押しされた白米が定番で、いずれも食べやすさに配慮されたものとなっています。
おかずは、豪華な御馳走感のなかにも気配りを徹底し、芝居の邪魔にならないよう、柔らかくて噛みやすく、食べても音が立たない品が選ばれました。紅白の蒲鉾、卵焼き、焼豆腐、こんにゃくなどが定番で、当時は蒲鉾も卵も高級食材でした。現代の幕の内弁当は彩り豊かで種類も増えましたが、「音を立てない」という配慮は今も受け継がれています。
この幕の内弁当ひとつから、「楽しみながらも、心配りを忘れない」という、日本人が誇る精神の作法を感じ取ることができるでしょう。
江戸時代(左)と現代(右)の幕の内弁当。江戸時代版は、当時高級食材だった蒲鉾や卵と焼おにぎり、現代版は刺身や天麩羅といった豪華メニュー。いずれも晴れの日にふさわしい華やかな構成で、かつ咀嚼音がしないよう配慮されています。 写真提供(左):歌舞伎座サービス(株)
東京・歌舞伎座と幕の内弁当の楽しみ方
歌舞伎座で幕の内弁当を楽しむには、まず席の種類を確認することが大切です。歌舞伎座の「桟敷席」(畳敷きの席)では、事前予約をすれば幕間に彩り豊かで品数豊富な幕の内弁当が席まで届けられます。器は係員が下げてくれるため、立ち歩く必要がなく、江戸時代の芝居見物のような贅沢な体験ができます。
一方、一般席(椅子席)には、弁当の提供はありません。食事を希望する場合は、劇場内の売店で購入し、幕間に座席やロビーで静かにいただきます。観劇中の飲食は控え、香りや音に配慮するのが基本的なマナーです。英語のイヤホンガイドも利用できるため、初めてでも安心して観劇と食事を楽しめます。
東京銀座に位置する歌舞伎座。1889年に開場し、幾度の災禍を乗り越えて復興を果たしてきました。現在の建物は2013年に竣工した第五期目。伝統的な外観と現代的な設備を兼ね備えています。 写真提供:(株)歌舞伎座
江戸の芝居文化が生んだ、今も愛される弁当
日本には、食事を持参して屋外や旅先で楽しむ「弁当」の文化が古くから根づいています。そして、江戸時代の歌舞伎観劇に由来して誕生し、芝居文化とともに広まった「幕の内弁当」ですが、現在では、弁当専門店や駅弁などでも販売されるほど定番化しており、数ある弁当の中でも高い人気を誇ります。
車 浮代
くるま うきよ
江戸料理文化研究所代表
時代小説家
1964年大阪府生まれ。江戸の食文化に精通し、当時の料理1200品目以上を再現。江戸料理や浮世絵、風俗史をテーマに執筆・講演・メディア出演を行う。著書はベストセラーとなった『蔦重の教え』をはじめ、『江戸の食卓に学ぶ』『天涯の海 酢屋三代の物語』『居酒屋蔦重』など30冊に及ぶ。2025年8月、NHKと外務省の要請により、ロサンゼルスのドルビー・シアターにて、『浮世絵に見る江戸の食文化』講演開催。同タイトルのバイリンガル書籍が国内外で発売中。江戸風キッチンスタジオ「うきよの台所」も運営している。
http://kurumaukiyo.com
東京の歌舞伎文化に根差す伝統的なお弁当
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